Vol.1 "We are over" OFF COURSE 1981-1982

1979年、オフコースは「さよなら」でブレイクする。
それまで実力を着実に蓄え、シングル「愛を止めないで」がスマッシュヒット、アルバム「Three and Two」ではオリジナルメンバーの小田和正・鈴木康博に加え、バックバンドで活躍していた松尾一彦・清水仁・大間ジローが正式メンバーとして参加、オフコースの活動は充実していた。
その果実が、「さよなら」だった。
翌1980年、シングル「Yes-No」もヒットし、初の日本武道館公演も成功。
オフコースの活動は順風満帆に見えた。

しかし事件は突然起きた。
アルバム「We are」に続く同名のツアー、その練習の後だった。
鈴木康博がオフコースからの脱退を表明した。

「We are」では、スタッフの意見で小田和正がフィーチャーされたが、そのことが鈴木をソロ活動へと駆り立てるきっかけになった。
小田をはじめ周囲は、「ソロとオフコースは両立できる」と脱退しないよう説得したが、鈴木は応じなかった。
鈴木は自分が抜けた後もオフコースを続けてくれるよう望んだが、今度は小田が納得しなかった。
「ヤス(鈴木康博)がやめるのなら、オフコースもやめよう」
結成から共に歩んできた鈴木康博、彼のいないオフコースを想像できなかった小田の素直な気持ちから出た発言だった。

ミーティングを重ねた結果、2枚のアルバムと全国ツアーの後、オフコースは活動を終えることになった。ただ解散という事実は、ツアー最終日の翌日に発売される最後のアルバムまで伏せられることになった。

小田はこの頃、オフコースの解散と共に音楽活動を停止する考えでいた。
当時の小田の音楽活動は、オフコースが全てだったからだ。

アルバム収録の模様は映像で記録され、NHKで「Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 若い広場 オフコースの世界」として放映される。


このアルバムは「over」と名付けられ、1981年12月にリリースされる。


「over」=「終わり」

解散に対するメンバーの様々な想いが織り込められた、そのアルバムに小田が書き下ろした1曲が「言葉にできない」だった。
小田のオフコースへの惜別の想いが、純粋なラブソングへと昇華し、生まれた1曲だった。

1982年1月、「最後のツアー」となるoverツアーがスタートする。
その頃、小田は「オフコース解散」という舵を切りながらも、「オフコース存続」という別の道を模索しはじめていた。

Vol.2 "NEXT" OFF COURSE 1982-1983