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Vol.3 "BETWEEN THE WORD & THE HEART" OFF COURSE & K.ODA 1984-1989

1984年、オフコースは四人で活動再開する。
その再始動には、テーマがあった。
それは「ソロになるための準備」だった。

活動再開と同時にリリースされたアルバム「The Best Year of My Life」では、シングルカットされた曲のプロモーションビデオが作られた。

Movie The Best Year Of My Life

翌1985年、アルバムタイトルを冠した全国ツアーと平行して、アーチストが集うイベント「All Together Now」が国立競技場で開かれる。このイベントの下敷きとなったのが、オフコース活動休止中に小田和正が取り組み、挫折した「日本グラミー賞」構想だった。
このイベントに向けて、小田は坂本龍一プロデュースのもと、松任谷由実・財津和夫と共にシングル「今だから」をリリースする。

同年、オフコースの楽曲に英語詞を載せたアルバム「Back Streets of Tokyo」がリリースされる。

これはオフコースが海外進出を考えていたことの現れだった。
1986年、オフコースメンバーがソロ活動に入った時、小田は単身アメリカに渡る。
アルバム「We are」の頃からミックスダウンを手がける親友ビル・シュニーのもと、小田はシンセサイザー習得と併せて、TOTOのジェフ・ポーカロらロサンゼルス在住のミュージシャンと、アメリカ進出に向けた楽曲作りに取り組む。
しかし、その夢を果たさないまま、小田はその年のクリスマスに日本に戻ってくる。
この時の楽曲は、小田初のソロアルバム「K.ODA」となった。

1987年、オフコースはアルバム「as close as possible」をリリースする。
それぞれのソロ活動の成果を持ち寄る、というコンセプト。
そのアルバムのタイトルは、実は自分たちに向けてのものだった、と後に小田は語る。

Concert Tour 1987 as close as possible

1988年、小田和正は二枚目のソロアルバム「BETWEEN THE WORD & THE HEART」をリリースしている。
青春を振り返りつつ、前を向こうとする姿勢がアルバム、特に「ためらわない、迷わない」にあらわれている。

この年、小田はネスカフェのCMに出演にする。その提供曲「goodtimes & badtimes」は小田和正ソロの楽曲であった。

同年、オフコースはアルバム「STILL a long way to go」をリリースする。
メッセージソング「君住む街へ」「昨日見た夢」と、別れの歌「STILL a long way to go〜また会う日まで〜」が織り込まれたアルバム。
そしてオフコースは、アルバムのタイトルを冠した過去最高の本数となるロングツアーに出る。
ライブでは「NEXTのテーマ〜僕らがいた〜」ではじまり、「秋の気配」「さよなら」などオフコースの代表ナンバーが織り込まれた。
実はツアー開始時、オフコースは既にある決意を固めていた。

1988年11月、その決意がファンに届けられる。
オフコース解散。

当初は日本武道館公演で終わるはずだったオフコースの活動は、スタッフの強い希望で東京ドーム公演が組み込まれる。

1989年2月26日「the night with us」東京ドーム。
ライブ中盤、「言葉にできない」で、小田は再び言葉を詰まらせた。
「だからこの曲はやりたくなかったんだ」
歌い終えて、小田はそうコメントした。

この日、オフコースはその活動に幕を閉じる。
「これからは、みんながオフコースだからね」
そのメッセージを残して。


君住む街へ 1984〜1988

Vol.4 "LOOKING BACK" K.ODA 1989-1998
1989.2.26 セットリスト

1,緑の日々
2,君住む街へ
3,LAST NIGHT
4,夏の日
5,こころは気紛れ
6,逢いたい
7,時に愛は
8,言葉にできない
9,きかせて
10,たそがれ
11,夏の別れ
12,she's so wonderful
13,君が、嘘を、ついた
14,ぜんまいじかけの嘘
15,Tiny Pretty Girl
16,YES-YES-YES
17,生まれ来る子供たちのために


ENCORE
1,Yes-No
2,眠れぬ夜
3,愛を止めないで
4,いつもいつも