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オフコース・小田和正 に参加中!
1983年、オフコースの活動、そして音楽活動を止めていた小田和正は、「アーティスト同士がお互いを認め、尊敬すること」を目指し、日本グラミー賞の設立に動いていた。
吉田拓郎をはじめとする一部アーチストの協力を得るも、様々な問題をクリアできず、日本グラミー賞構想は頓挫する。

しかし日本グラミー賞構想が、一つのきっかけを生む。
日本民間放送連盟が1985年の日本青年年のイベント開催が模索され、そこに日本グラミー賞構想の趣旨が加わることで、1985年6月15日「ALL TOGETHER NOW」と題されたイベントが開催される。
吉田拓郎が司会を務めたこのイベントは、解散したはっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド(ライブ当日は松任谷由実がボーカルをとったため、サディスティック・ユーミン・バンドと呼ばれた)の再結成をはじめ、若手のチェッカーズ・渡辺美里(山下久美子・白井貴子のバックコーラスとして参加)まで、当時のフォーク・ニューミュージック・ロックなど日本のアーチスト23組が集った。
そして吉田拓郎・オフコースを皮切りに、様々なアーチストによるコラボレーションでのライブが披露された。
このため「ALL TOGETHER NOW」が日本の音楽フェスティバルの原点と呼ばれることとなる。

また、このイベント向けに、坂本龍一プロデュースの元、松任谷由実・財津和夫・小田和正による共作曲「今だから」が生み出され、高橋幸宏・後藤次利・高中正義がバックミュージシャンとしてレコーディング、シングルリリースされている。
これまでも井上陽水・忌野清志郎「帰れない二人」をはじめ共作曲は既に存在していたが、複数のアーチストによる共作(コラボレーション)は目立った例がなかった。
「今だから」もまた、日本の音楽史におけるコラボレーションの原点のひとつと位置づけられることとなる。

日本グラミー賞の挫折は、オフコース解散直後の1990年に執筆された小田和正のエッセイ「time can't wait」にて記されている。
しかし日本グラミー賞構想と「ALL TOGETHER NOW」の経験は、後の小田和正の活動の糧になる。

一つは1994〜1996年のチャリティライブで結成された「スーパーバンド」である。
1993年、泉谷しげるが北海道南西沖地震を期にはじめたチャリティライブは、節目節目のホールライブで小田和正、吉田拓郎など様々なアーチストが参加するようになる。
そのなかで1994年3月「長崎・普賢岳噴火災害救済コンサートチャリティーコンサート 〜島原・深江をすくえ〜 メッセージソングの日」にてスーパーバンドが結成される。
これは吉田拓郎の「俺たちは楽器が出来るんだから、参加アーティストがバンド組もうぜ」というアイデアが下敷きとなっている。
参加アーチストの持ち歌を、他のアーチストが演奏し、コーラスに加わるスーパーバンドのスタイルは、コラボレーションの中でも出色の存在であった。
このチャリティライブが「日本をすくえ」と冠された時には、スーパーバンドのライブがメインとなり、泉谷・琢郎・小田が中核となって、日本武道館・神戸ワールド記念ホールでライブが開催されている。

もう一つは2001年からはじまったテレビ番組「クリスマスの約束」である。
「アーティスト同士がお互いを認め、尊敬すること」を趣旨としたこの番組では、小田和正が番組のために書き下ろした「この日のこと」に様々なアーチストが参加したことを皮切りに、様々なアーチストとのコラボレーションが実現している。

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民放ラジオ特別番組 「ALL TOGETHER NOW 2013 by LION」(5/4・5オンエア) パブリック・リスニング

松任谷由実・小田和正・財津和夫 「今だから」

History of 「クリスマスの約束」
(2001年〜2004年)

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(「ALL TOGETHER NOW」向け楽曲「今だから」収録)