GREEN DAYS 〜緑の日々〜

小田和正・TM NETWORK・OFF COURSEをはじめ、音楽を中心に色々語るブログ。 Written by SHIN

From "over" To "LOOKING BACK" Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005

From "over" To "LOOKING BACK" 〜Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005〜 Vol.5

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Vol.5 "たしかなこと" K.ODA 1999-2005

1999年、「言葉にできない」が明治生命のCMソングに起用される。
このトラックは、小田がCM用に新たに録音したものだった。
新録音された「言葉にできない」は、直ぐにリリースされなかったが、このCMが世間で話題になる。

2000年、小田は6年半ぶりのオリジナルアルバム「個人主義」をリリースする。

タイトルが示すようにメッセージ性を色濃くしたこのアルバムで、小田は大きな注目を浴びる。
同年のツアー「same moon!!」では、小田がピアノを弾きながら「言葉にできない」を歌っていた。

ツアーの追加公演として、横浜八景島で「小田和正カウントダウン・ライブ ちょっと寒いけど みんなでSAME MOON!!」が行われる。
そのライブの終盤、「my home town」で小田は涙を見せる。


2001年、小田はセルフカバーアルバム第二弾「LOOKING BACK 2」をリリースする。

このアルバムに、「same moon!!」ツアーのライブ音源に、別に録音されたストリングスを重ねた「言葉にできない」が収録される。
アルバムには他に、5人のオフコースの終わりを告げたアルバム「over」から「愛の中へ」「言葉にできない」、オフコースのラストアルバム「STILL a long way to go」から「夏の別れ」「she's so wonderful」「君住む街へ」が選曲される。
CMで注目の「言葉にできない」、そしてオフコースの代表ナンバー「さよなら」が収録されたこともあって、「LOOKING BACK 2」はオリコン一位に輝く。
このあたりから、「言葉にできない」はJ-POPのスタンダードナンバーへと昇華する。

2001年12月25日深夜、TBS系列で「クリスマスの約束」が放映される。
小田が選んだJ-POPの名曲達を、生み出したアーチストへの敬意を込めて歌う。
18年前、小田が挫折した「日本グラミー賞」構想が、番組のコンセプトとして再生された瞬間だった。
その番組のオープニングを飾ったのは「言葉にできない」だった。

2002年、シングル「キラキラ」の大ヒットを受けて、ベストアルバム「自己ベスト」がリリースされることになる。
小田和正ソロの代表ナンバーに加え、セルフカバーされたオフコースの代表ナンバーがセレクションされたこのアルバムに、「言葉にできない」も収録される。
「愛を止めないで」「さよなら」「Yes-No」「言葉にできない」「ラブ・ストーリーは突然に」「伝えたいことがあるんだ」「woh woh」、そして「キラキラ」…小田和正の音楽人生を集約したこのアルバムは、200万以上の大ヒットアルバムになる。

同年の「kira kira」ツアー、そして「クリスマスの約束」も好評のうちに終わる。

2003年、アジアツアーで小田は「言葉にできない」を歌う。
同年の「クリスマスの約束」で、Mr.Childrenの桜井和寿が小田との共演に際し選んだ曲のひとつが「言葉にできない」であった。

2004年、明治生命は明治安田生命となり、小田の新曲「たしかなこと」と交代するかたちで「言葉にできない」はCMソングとしての役割を終える。
「たしかなこと」は、「言葉にできない」を意識して書き下ろされていた。

同年、TBS系列で「風のようにうたが流れていた」が放送される。
小田の音楽人生を振り返るこの番組の最終回で、小田は「言葉にできない」「たしかなこと」の両曲を披露する。

そして2005年。
小田和正はオリジナルアルバムを携えてのツアーを予定している。




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From "over" To "LOOKING BACK" 〜Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005〜 Vol.4

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Vol.4 "LOOKING BACK" K.ODA 1989-1998

1989年、パーソナルレーベル「Little Tokyo」を立ち上げた小田和正は、同名タイトルのシングル「Little Tokyo」で、自身のソロ活動を本格的にスタートさせる。
翌1990年、アルバム「Far East Cafe」をリリース、同年には初のソロツアーを行う。
そして1991年、シングル「Oh!Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」、ベストアルバム「Oh!Yeah!」が大ヒット。1992年、第1回監督作品「いつか、どこかで」公開、アルバム「sometime somewhere」リリース…
小田は着実にソロ活動を積み重ねていく。


1992年8月、小田は西宮スタジアム・横浜スタジアムで「MY HOME TOWN」と冠したライブを開く。
幻に終わった横浜スタジアムでの5人のオフコースのライブ構想から、ちょうど十年目。
オフコースのナンバー「思いのままに」を歌ったあと、小田は「ここに5人がいるような気がした」とコメントした。
このスタジアムライブのために書き下ろしたテーマ曲「my home town」は、翌年リリースされたアルバム「MY HOME TOWN」に収録された。

1993年、小田はオフコースの楽曲をセルフカバーしはじめる。
もともと1988年のソロアルバム「BETWEEN THE WORD & THE HEART」で、オフコース初期のナンバー「僕の贈りもの」をリメイクしていた。それは当時のアレンジに必ずしも納得していなかった小田が、自分の納得するものに仕上げたかったからだった。

「過去はやり直せないが、楽曲ならやり直せる」
オフコース時代でアレンジに納得がいかなかった楽曲、発表当時とは違ったアプローチでのアレンジを思いついた楽曲、ライブを積み重ねたことで行き着いたアレンジの楽曲…
そういったオフコースの楽曲達を、小田はリメイクしはじめる。

まず、CMソングとなった「緑の日々」がシングルとしてリリースされる。
同年のシングル「風の坂道」からは、「シングルのカップリングは影が薄い」という小田の思いから、「シングルのカップリングはオフコースのカバー」というコンセプトを打ち出し、その第一弾として「Yes-No」がリメイクされる。

その後、小田は新曲発表をシングル中心とし、オフコースのセルフカバーも増えていく。
1995年、過去の別れを肯定的にとらえるシングル「君との思い出」が出来た時、小田はセルフカバーした楽曲をアルバムとしてまとめる事を思いつき、翌1996年にリリースする。



「LOOKING BACK」
「過去を肯定的に振り返る」という意味で名付けられたアルバムには、「君との思い出」からスタートし、代表曲「Yes-No」「愛を止めないで」「秋の気配」、そして大胆にアレンジされた「僕の贈りもの」へと遡る構成になっていた。
翌年リリースしたベストアルバム「伝えたいことがあるんだ」でも、小田は一部の楽曲のアレンジを一新する。

1997年、第二回監督映画「緑の街」公開にあわせてスタートしたツアー「Thru The Window」では、映画使用曲と共に「LOOKING BACK」収録の曲達が多く披露される。

1998年2月3日「Thru The Window」ツアー最終日
ライブビデオ収録を目的に、東京国際フォーラムで追加公演が組まれた。
そのアンコール、小田はオフコース解散以来初めて「言葉にできない」を歌う。
この時の小田に涙はなかった。

残念ながら、そのトラックは発売されたビデオに収録されなかった。


K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW LIVE

Vol.5 "たしかなこと" K.ODA 1999-2005

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From "over" To "LOOKING BACK" 〜Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005〜 Vol.3

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Vol.3 "BETWEEN THE WORD & THE HEART" OFF COURSE & K.ODA 1984-1989

1984年、オフコースは四人で活動再開する。
その再始動には、テーマがあった。
それは「ソロになるための準備」だった。

活動再開と同時にリリースされたアルバム「The Best Year of My Life」では、シングルカットされた曲のプロモーションビデオが作られた。

Movie The Best Year Of My Life

翌1985年、アルバムタイトルを冠した全国ツアーと平行して、アーチストが集うイベント「All Together Now」が国立競技場で開かれる。このイベントの下敷きとなったのが、オフコース活動休止中に小田和正が取り組み、挫折した「日本グラミー賞」構想だった。
このイベントに向けて、小田は坂本龍一プロデュースのもと、松任谷由実・財津和夫と共にシングル「今だから」をリリースする。

同年、オフコースの楽曲に英語詞を載せたアルバム「Back Streets of Tokyo」がリリースされる。

これはオフコースが海外進出を考えていたことの現れだった。
1986年、オフコースメンバーがソロ活動に入った時、小田は単身アメリカに渡る。
アルバム「We are」の頃からミックスダウンを手がける親友ビル・シュニーのもと、小田はシンセサイザー習得と併せて、TOTOのジェフ・ポーカロらロサンゼルス在住のミュージシャンと、アメリカ進出に向けた楽曲作りに取り組む。
しかし、その夢を果たさないまま、小田はその年のクリスマスに日本に戻ってくる。
この時の楽曲は、小田初のソロアルバム「K.ODA」となった。

1987年、オフコースはアルバム「as close as possible」をリリースする。
それぞれのソロ活動の成果を持ち寄る、というコンセプト。
そのアルバムのタイトルは、実は自分たちに向けてのものだった、と後に小田は語る。

Concert Tour 1987 as close as possible

1988年、小田和正は二枚目のソロアルバム「BETWEEN THE WORD & THE HEART」をリリースしている。
青春を振り返りつつ、前を向こうとする姿勢がアルバム、特に「ためらわない、迷わない」にあらわれている。

この年、小田はネスカフェのCMに出演にする。その提供曲「goodtimes & badtimes」は小田和正ソロの楽曲であった。

同年、オフコースはアルバム「STILL a long way to go」をリリースする。
メッセージソング「君住む街へ」「昨日見た夢」と、別れの歌「STILL a long way to go〜また会う日まで〜」が織り込まれたアルバム。
そしてオフコースは、アルバムのタイトルを冠した過去最高の本数となるロングツアーに出る。
ライブでは「NEXTのテーマ〜僕らがいた〜」ではじまり、「秋の気配」「さよなら」などオフコースの代表ナンバーが織り込まれた。
実はツアー開始時、オフコースは既にある決意を固めていた。

1988年11月、その決意がファンに届けられる。
オフコース解散。

当初は日本武道館公演で終わるはずだったオフコースの活動は、スタッフの強い希望で東京ドーム公演が組み込まれる。

1989年2月26日「the night with us」東京ドーム。
ライブ中盤、「言葉にできない」で、小田は再び言葉を詰まらせた。
「だからこの曲はやりたくなかったんだ」
歌い終えて、小田はそうコメントした。

この日、オフコースはその活動に幕を閉じる。
「これからは、みんながオフコースだからね」
そのメッセージを残して。


君住む街へ 1984〜1988

Vol.4 "LOOKING BACK" K.ODA 1989-1998
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From "over" To "LOOKING BACK" 〜Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005〜 Vol.2

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Vol.2 "NEXT" OFF COURSE 1982-1983

1982年、"over"ツアーと平行して、オフコース最後のアルバムとなるはずの「I LOVE YOU」のレコーディングが行われる。

しかし、この頃から小田和正の解散への気持ちに揺らぎがではじめる。
収録曲「決して彼等のようではなく」の歌詞に織り込まれた「まだ間に合う」という叫びに、その気持ちが表れている。

更に、外部には秘密だったはずの「オフコース解散」がマスコミに漏れはじめると、その揺らぎはメンバー・スタッフへと伝播し、その一部がオフコース存続へと動き出す。
そしてツアーの追加公演として横浜スタジアムでライブを開くアイデアが出て、これに鈴木も興味を示したことから、解散発表の中止が決まる。
しかし追加公演が本決定に至らないまま、ツアー最終日を迎える。

1982年6月30日
当時、前人未踏だった日本武道館10日連続公演の最終日、そして「over」ツアー最終日。
その後のことは何も決まらないまま、小田はステージに立つ。
「もしかしてこれが最後のステージになるかもしれない」
小田の思いは極まり、「言葉にできない」で彼は言葉につまる。


Off Course 1982・6・30 武道館コンサート

この後、横浜スタジアムの追加公演は鈴木の要請で中止となる。
代わりに1982年9月、TBSでオフコースの特別番組が用意される。
「NEXT」

「オフコースが解散して5年後の1987年、メンバーが集まって再結成ライブを開く」
というストーリーをベースに、再結成ライブ部分に日本武道館ライブの映像を使用した「物語」。
その物語に、小田は今の自分の気持ちを込めた新曲を用意する。

「NEXTのテーマ〜僕らがいた〜」

「僕らの終わりは、僕らしか語れない」そして「いつかまた…」
小田のオフコースへの思いを残したまま、オフコースは活動を止める。

1983年、鈴木康博は自分の事務所を立ち上げることで、活動休止中だったオフコースを脱退する。
その頃、小田は「ミュージシャンが互いを尊敬しあえる場を作ろう」と「日本グラミー賞」設立に取り組んでいたが、実現はしなかった。

そしてオフコースは4人で活動再開することを決める。


Vol.3 "BETWEEN THE WORD & THE HEART" OFF COURSE & K.ODA 1984-1989

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From "over" To "LOOKING BACK" 〜Kazumasa Oda Chronicle 1981-2005〜 Vol.1

Vol.1 "We are over" OFF COURSE 1981-1982

1979年、オフコースは「さよなら」でブレイクする。
それまで実力を着実に蓄え、シングル「愛を止めないで」がスマッシュヒット、アルバム「Three and Two」ではオリジナルメンバーの小田和正・鈴木康博に加え、バックバンドで活躍していた松尾一彦・清水仁・大間ジローが正式メンバーとして参加、オフコースの活動は充実していた。
その果実が、「さよなら」だった。
翌1980年、シングル「Yes-No」もヒットし、初の日本武道館公演も成功。
オフコースの活動は順風満帆に見えた。

しかし事件は突然起きた。
アルバム「We are」に続く同名のツアー、その練習の後だった。
鈴木康博がオフコースからの脱退を表明した。

「We are」では、スタッフの意見で小田和正がフィーチャーされたが、そのことが鈴木をソロ活動へと駆り立てるきっかけになった。
小田をはじめ周囲は、「ソロとオフコースは両立できる」と脱退しないよう説得したが、鈴木は応じなかった。
鈴木は自分が抜けた後もオフコースを続けてくれるよう望んだが、今度は小田が納得しなかった。
「ヤス(鈴木康博)がやめるのなら、オフコースもやめよう」
結成から共に歩んできた鈴木康博、彼のいないオフコースを想像できなかった小田の素直な気持ちから出た発言だった。

ミーティングを重ねた結果、2枚のアルバムと全国ツアーの後、オフコースは活動を終えることになった。ただ解散という事実は、ツアー最終日の翌日に発売される最後のアルバムまで伏せられることになった。

小田はこの頃、オフコースの解散と共に音楽活動を停止する考えでいた。
当時の小田の音楽活動は、オフコースが全てだったからだ。

アルバム収録の模様は映像で記録され、NHKで「Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 若い広場 オフコースの世界」として放映される。


このアルバムは「over」と名付けられ、1981年12月にリリースされる。


「over」=「終わり」

解散に対するメンバーの様々な想いが織り込められた、そのアルバムに小田が書き下ろした1曲が「言葉にできない」だった。
小田のオフコースへの惜別の想いが、純粋なラブソングへと昇華し、生まれた1曲だった。

1982年1月、「最後のツアー」となるoverツアーがスタートする。
その頃、小田は「オフコース解散」という舵を切りながらも、「オフコース存続」という別の道を模索しはじめていた。

Vol.2 "NEXT" OFF COURSE 1982-1983
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